読売新聞
土面からフキノトウがのぞき始めた針葉樹林に、岩盤を砕く音がとどろいた。
北 上山地に連なる一関市北東部の早麻山の中腹。9日朝、山道から約500メートル分け入った現場では、木々の間にそびえる鋼鉄製のボーリング機 が、地中に広がる花こう岩の掘削にうなりを上げていた。20年の経験を持つベテラン作業員は「この岩盤の硬さは最高級だね」と舌を巻いた。
地下に高さ40メートルの大空洞を要するILCには、強固な地盤が不可欠だ。ボーリングによる地質調査の結果は近く中間報告が出る見通しで、国内の研究者グループは北上、脊振両山地での結果を踏まえ、今夏までには国内候補地を一本化するという。
「日本と一緒に仕事をすることを願っています」
国 際推進組織代表のリン・エバンス氏は3月27日、首相官邸を訪れ、日本のILC誘致への期待を安倍首相に伝えた。5日前には、スイスの欧州合同 原子核研究機関(CERN)が「日本の主導を歓迎する」との白書を承認。研究者の間では高い技術力を誇る日本での建設が有力視されている。
た だ、首相は誘致の明言を避けた。約8000億円もの建設費の分担が不透明なためだ。過去の国際的な実験施設では建設国が半額を拠出した例がある が、「実際の支出額は政府間交渉で決まる」(文部科学省)ため、各国とも様子見が続いている。ILCはまだ研究者の構想という段階だ。
昨年12月に公表された設計書によると、ILCは全長30~50キロ。素粒子の電子と陽電子を直線パイプでほぼ光速に加速して衝突させる。100万分の1ミリ・メートル単位の精度を確保するため、建設地には地盤の強度が求められる。
「安定した岩盤が必要なプロジェクトがある」
1991 年7月、本県にそんな情報がもたらされた。日本の研究者が進めていたJLC(日本リニアコライダー)構想だった。県は、80年代後半に大 型放射光施設(兵庫県)の誘致に敗れた教訓から、「早期の情報収集が必要」と、すぐに高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構、 KEK)に接触、誘致に動き出した。
JLCが欧州や米国の計画と統合してILCとなった04年の前年、県はKEKの要請で独自の地質調査を 始めていた。00年から携わる大平尚・県首 席ILC推進監は、「誘致合戦の激化を招かないよう、水面下で準備を進めた」と振り返る。レースは独走とも思えたが、07年10月、あるニュースが飛び込 んできた。
〈福岡、佐賀両県にILC研究会が発足〉
ライバルの出現だった。(つづく)
◆ヒッグス粒子研究を前進
国内外の研究者がILCに熱意を注ぐのは、素粒子物理学を大きく前進させる可能性を秘めているからだ。
素粒子とは、それ以上は細分化できない物質や力の最小単位。現代物理学の基礎である「標準理論」という考え方では、17種類があるとされる。中には、宇宙が始まった137億年前のビッグバン直後、一瞬の間しか姿を現さなかった素粒子もある。
万物に質量を与える役割を持ち、昨年、CERNでの発見が世界的ニュースとなったヒッグス粒子もその一つ。これらは自然界の形成に多大な影響を及ぼしているが、姿は現さない。観測して性質を調べるには、ビッグバンを疑似的に再現する装置「大型加速器」が必要だ。
CERN の実験施設も大型加速器だが、ヒッグス粒子については検出までが限界で、精密な分析は困難とされる。次世代加速器のILCでヒッグス粒子 を詳細に調べれば、「標準理論」を超える新理論の構築や、全宇宙の27%を占めながら正体不明の「暗黒物質」の解明につながるとも指摘されており、機運は 高まっている。
研究者は2030年までのILC稼働を望んでおり、日本が早期に誘致を表明するかどうかに注目が集まっている。
ILC戦略会議議長の山下了(さとる)・東大准教授は、「行政の意思決定プロセスを含め、様々な関係機関と協力して科学外交のモデルケースを作らなければならない」と語る。